2013年5月2日木曜日

サンパウロと日本


サンパウロのパウリスタ通りで信号を待っていると、道を聞かれることがしばしばある。ポルトガル語が分からない外国人ではなく、日系ブラジル人だと間違われるのだ。

以前住んでいたFlatの徒歩10分圏内には、寿司屋や和食の店が6軒もあった。いまのFlatの金庫の説明書には、英語やスペイン語などとともに日本語も記載されている。日本人ビジネスマンも多いのだ。

牛丼の「すき家」も数軒ある。牛肉の質が違い、脂身が少なくてやや硬い感じはするものの、比較的安くて結構いける。カレー牛もなかなかの味。ブラジルの豆料理フェイジョンまでがメニューにあったのには驚いたが。

およそ100万人の日系ブラジル人がサンパウロに住んでいると言われ、いかに「日本」がこの街に溶け込んでいるかが分かる。ブラジルで日本人が信用されているのは、長年にわたる日系の方々の努力のおかげ。本当に感謝の気持ちを持たなければいけないと実感する。

ところで、世界最大規模の日本人街リベルダージの広場では、毎週日曜日にフェイラと呼ばれる市場が立つ。お土産品のほか、天ぷらや盆栽などの露店が並び、大勢の人で賑わう。

昨年の3月11日はちょうど日曜日だった。私は友人とともに食事をしにリベルダージに行ったのだが、そこにはいつも通りのフェイラがあるだけだった。せっかく日本人街があり、多くのブラジル人や他国の観光客が訪れるフェイラが開かれているのに、震災のことを知ってもらうブースやイベントは全くなかった。

食事のあと友人たちと別れ、一人で日伯文化協会の会館へ足を運んだ。東日本大震災から1年の法要が行われていたからだ。参加者は、ほぼ全員が日本人と日系人だった。

ブラジルの中に「日本」はあるけれど、実際の日本は遠い。こんな時こそ日本領事館がアイデアを出し、一般のブラジルの人たちに日本を身近に感じてもらうべく働いて欲しかった、と何とも残念に思った。


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