2013年6月7日金曜日

正直、本田圭佑は大成すると思っていなかった


本田圭佑を、彼の高校時代に取材したことがある。

本田は星稜高校のキャプテンとして2005年の全国高校選手権に出場した。石川県勢初の4強入りを果たすのだが、その大会前に会ったのが最初だった。ガンバ大阪のジュニアユース出身だったのにユースに入れなかった悔しさなど、素直に受け答えしてくれたし、礼儀正しかった。携帯番号もすぐに教えてくれた。

一方で、そのころからすでに「俺様」の雰囲気は漂っていた。「高校レベルでは物足りなく感じる」などと発言し、スポーツ紙には「ビッグマウス」の文字が躍っていた。

高校選手権の準決勝前には「自分がボールを持ちすぎてしまうと囲まれて奪われる。ワンタッチプレーで崩していく」と話していた。裏返せば、自分がボールを持つことを前提にしたチームだと公言しているようなものだ。

基本的なプレースタイルは当時からそれほど変わっていない。

ボールをしっかり収めると、体幹の強さを武器に相手をガツンと受け止めてノッシノッシとゴールに向かう。左足からズドンとシュートを放つ。「直接狙えるFKは、絶対に決める」と自信を見せていたのも同じだ。

実は、本田がプロで通用するのか、少し疑問に思っていた。

いつもJリーグの試合を取材していたこともあって、攻守の入れ替わりが速く、スピーディーな展開に本田が適応できるのか、分からなかったのだ。特に本田の運動量の少なさが気になっていた。

日本人が世界に通用するのは、スピードとテクニック、敏捷性を生かすしかないというイメージもあった。今で言えば香川のような選手だ。

それを裏付けるように、翌2006年にはパスワークで相手を崩す「セクシーフットボール」を掲げた野洲高が優勝している。

しかし、本田はそんな潮流とは関係なく、自分の長所を磨いて成長した。走力をつけて展開の激しさに適応した。持っているものを生かしたまま、一回りも二回りも大きくなって一流選手になったのだ。

振り返ってみれば、セクシーフットボールの野洲高のメンバーにも、ドリブルはできても守備が下手な選手や、ヘディングをしない選手などそれぞれ特徴はあったのだ。

当たり前だけど、サッカー選手って、本当にいろんなタイプが存在していいし、どんなタイプでも一流になる可能性がある。

本田は通用しないかもしれないと疑った、自分の見る目の無さを恥じるばかりだ。


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