あらかじめ断っておくけれど、自分はいわゆるアイドルオタクではない。AKB48のメンバーも分かるのは上位10人前後だ。
だけど、指原莉乃のことは騒動になる前から知っていた。深夜番組が好きで「さしこのくせに」を時々見ていたから。土田晃之にいじられながら、へたれキャラを克服しようとする様子が楽しく、面白い子がいるなあと気にかけていた。
その指原が、大島優子やまゆゆら「正統派」を押しのけて総選挙で1位になった。さしこのくせに、をそのまま実現してしまったのだ。
話は飛ぶ。
日本アイドル全盛期の80年代は、欧米ポップスが一気に流入した時代でもあった。マイケル・ジャクソンやマドンナの曲が街を流れた。テレビでアイドルの歌声を聴いていた自分にとっては新鮮で、ラジオで欧米のヒットチャートを聴くようになった。
一番衝撃だったのが、フィル・コリンズとホイットニー・ヒューストンの存在だった。禿げたオッチャンと、あまり可愛くない(ゴメンナサイ、そう思っていた)黒人女性歌手が次々にヒットを飛ばすのだ。
容姿なんか関係なく、2人の圧倒的な歌唱力をみんなが認めていた。欧米は「本物」を受け止める社会なんだと感じた。作り笑いを振りまくアイドルが歌謡界を席巻していた当時の日本では考えられなかった。
時代は流れ、日本も変わった。
「カワイイ」カテゴリーに入らなくても、MISIAや一青窈ら、歌唱力と個性で勝負する「本物」の歌手が出てきて認められる社会になった。
音楽だけでなない。
かつての芸能界ではおすぎとピーコや、オスマン・サンコンといった人たちは「色物」扱いだった。いまはゲイや外国人、ハーフなどは当たり前のようにテレビに出ている。
コンビニでも居酒屋でも、中国人や韓国人、インド人、フィリピン人らが働いている風景は日常になった。ハーフやクオーターの子供も、もはや珍しくない。みんな多様性を受け入れている。
テレビの視聴者が見ているのは出演者がゲイかどうか、外国人かどうかというより、面白いかどうかに変わった。
自身が言っているように、指原は大島らに比べて可愛くない。だけど、投票した人は彼女がもつ可愛さ以外の要素もちゃんと見ていた。それは生き方だったり、考え方だったり、プロデュース力だったりしたのだろう。
特筆すべきなのは、投票したのがCDを買ってアイドルを応援する層の人たちだったということだ。アイドルという幻想を買う人たちが、カワイイだけではない面をじっくり見極め、「正統派」を追いやって、さしこを1位に押し上げた。
ここに、日本社会の成熟を見る。
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