2013年7月21日日曜日

もしもオシムが元気だったら、と思う


コンフェデ杯で3連敗に終わった結果、ザッケローニ監督への批判の声も上がるようになった。なかには「解任すべし」との意見もあるようだ。

そこでいまだに必ず聞かれるのが「オシムが続けていたらなあ」との声だ。

そんなこと考えても仕方がないのだけど、自分も同じ思いを持っている。

岡田監督はワールドカップで決勝トーナメント進出の結果を残したけれど、日本サッカーに何か哲学を残したかと言えば、何も思い当たらない。引きこもって守りを固め、結果だけを求めるサッカーだったからだ。

その点、ジーコ監督はW杯で1勝もできなかったものの、「世界で戦うのに必要な選手の自主性とは何か」という命題を日本に残してくれた。

「ピッチでは選手たちが自主的に判断し、変化に対応しながら試合を進めないといけない」というジーコの考えは、当時の日本代表にとっては時期尚早だった。監督に言われるがまま、規則に従ってプレーすることに慣れている選手たちは戸惑い、結果を残せなかった。それでも、ジーコは日本が前に進むための課題を与えてくれたと思う。

ザッケローニが物足りないのは、その哲学だ。

日本には何が足りず、逆にどこを生かしたいのか。世界で戦うためにどんなスタイルのサッカーをするのか。それが分かりにくい。

だから、思う。オシムが続けていたら日本はどんなサッカーをしたのだろう、と。

「走りすぎて死んだやつはいない」「リスクを冒して攻める。その方がいい人生だと思いませんか?」

結果はどう転んだかは分からない。でも、彼のサッカーの行き着く先を見たかった。

そう思う人はいまでもたくさんいるはずだ。

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