2013年5月12日日曜日

カシャーサと歴史感覚



日本史の勉強は、縄文、弥生時代から始まり、やがて卑弥呼や聖徳太子が出てくる。奈良時代、平安時代を勉強し、枕草子や源氏物語を学び、鎌倉幕府へと続いていく。戦国時代を経て江戸時代に入り、明治維新へ。学校によってはこのあたりから授業時間が無くなり、近現代史を詳しく教えられないことが問題になることも多い。

小学校、中学校、高校と、このパターンを繰り返して自然と身についた歴史感覚は、ここブラジルに来ると、どうも具合が悪い。

フォルタレーザに、カシャーサ博物館というのがある。カシャーサはサトウキビを原料とする蒸留酒。ブラジルを代表するカクテル、カイピリーニャに使われる。そのカシャーサの有名ブランドがフォルタレーザにあり、製造元だった場所に博物館が設置されているのだ。

最初にカシャーサが作られた当時の道具や機械、写真などが展示されているのだが、いかにも「歴史がありますよ~」と誇らしげなのだ。「こんなに古い機械が残っています」「5代にも渡って作られ続けています」などと説明があり、ブラジル人たちは熱心に展示物を見ている。

ちなみに当地で最初に作られたカシャーサは1846年。日本で言えば江戸末期で、日本史の勉強も終わりに近い時期だ。そんな歴史を誇られても、何だかなあと思ってしまう。

だから観光で「歴史的な遺産」を見ても、どうしても同じ感想しか持てない。サンパウロ中心部のセントロに「サンパウロ最初の教会」がある。ある時、友人らと見に行ったのだが、アルゼンチン人の女の子は「アルゼンチンにはもっと古いのがあるわ」と、ちょっと自慢げに語りかけてきた。でも、こっちにしてみれば「どっちもどっちじゃないの」という感覚なのだ。1800年代だろうが、1700年代だろうが、どちらも江戸時代じゃないか。米国の歴史でも、同じような感想だ。

同じ時代を生きていても、古いとか新しいとかを感じる歴史感覚はまちまちなんだな、と思う。それを共有するのって、難しい。

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